蓮☆さとこのほにゃほにゃアート

ヤフーブログから引っ越してきました。

恩師の日

イメージ 1


もう、2日ほど、過ぎてしまいましたが

3月24日は 「恩師の日」 だそうです

「恩師」 といって、すぐ浮かぶのは

小学校5~6年生のときの担任だった

〝イトウマサオ〟先生

あの先生のおかげで、落ちこぼれから脱却して

イジメっ子からも、解放された・・・

そうなんです

小学校の4年生までのワタシは

まったく勉強が出来ず、イジメられて

カッパのようにアタマの頭頂部がハゲてました

ええ、いまの主人よりも立派な、ザビエルはげ

たぶん、精神的な病気だったんでしょう

いつも頭に手をやって、ブチンブチン抜いてたから

はげてしまうのも、あたりまえだったんですよ

ただ、どうしてだか、イトウマサオ先生だけは

いつもやさしく、ワタシに接してくださって

あるとき、教室でこんな話をしてくれた

「とても思い出に残っている生徒がいる

 その子は、すごく成績が悪かったが、毎日予習ノートを

 先生に提出してるうち、ノートが10冊以上になって

 どんどん成績が上がっていったんだ」

ワタシは、そのエピソードを聞いてから

同じように、せっせと予習ノートをつくることにしたんです

ほとんど参考書のまるうつしで、頭には入ってなかったけど

「おお、よくやってるなぁ」 と、イトウマサオ先生にほめられると

ああ、うれしいなぁ、またガンバロウ(*^。^*)♪ って

ただ、それだけで、やる気になれたものです

予習ノートは、20冊近くまで、増えていって

6年生になると、成績はみるみる上昇して

クラスの中でも、指折りの存在になっていましたが

それは全部、ただ、ひたすら、ほめ続けてくれた

イトウマサオ先生のおかげでした

小学校を卒業するときは、とてもつらかった

もう、ノートをつくっても、ほめてくれる人がいない・・・

しばらくして、どこかデパートの売り場で

「○○、○○じゃないかっ!?」 と、声をかけられ

ふりむくと、イトウマサオ先生がうれしそうに立ってる

補導かなにか、パトロール中のようだったけど

再会できたことが、本当にうれしいようで

ニコニコ満面の笑みを浮かべていらした

イトウマサオ先生に会えたのは、それっきり

何十年かたって、ふと目にした新聞の訃報記事に

○○町、イトウマサオ と、書かれていたんです

年齢も、お住まいも、だいたいあっている

・・・先生、逝ってしまったの?

ただ、ただ、涙しかなく・・・

そっと新聞を切りぬいて、手帳にしまった

いまでも、お守りになっている


イトウマサオ先生

落ちこぼれだったワタシを

救ってくださって

本当にありがとうございました

もう、ノートをお見せすることは出来ないけど

どうかお空の上から見ていてください

ほにゃほにゃアートを

ずーっと、ずーっと

描きつづけていきますからネ

って

最近、おサボり中ですが

(*^。^*).。o○



■本日のほにゃほにゃニュース
犬かきならぬ、コアラかき? じゃっぽんじゃっぽん泳ぐコアラさん
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=128&from=diary&id=5041278